2015年2月18日水曜日

対話が可能なのは、あくまでも同じ背丈の人同士

おはようございました。

先日、技術士会の活動の一つETの会(後にできる日本技術士会中部倫理委員会の先駆け)で、火力発電所の建設をめぐるリスクコミュニケ-ション』と言う題目で講演させて頂きました。

技術者が技術だけでよいのか?と言う答えは、“技術だけではほぼ駄目という明確な答えがあるのですが、よい具体例がありません。そこで、近所の知多市で作られる予定かもしれない石炭火力発電所の例を題材にしてお話をさせて頂いた次第です。

実はこの建設予定者は住民と連携を取れたか?と言う点では、決して良い状態では無い状況で工事に着工をせざるを得ない状態になりましたが、その原因がどこにあるのか?と言う話題提供です。

私は運がいい?事に転職を繰り返し続けて様々な業界と、そこに渦巻く混沌とした人の欲の様を観てきていますから、分かりあう最低限の条件ぐらいはぼんやりとでも見えるわけです。
ではそれを利用して、害を与えざるを得ない一般市民との対話に最低限必要な姿勢と、一般市民では無いプロな市民に対して、どのように接するべきか?を紐解こうとさせて頂きました。

尤も、この手の問題は時代とともに変遷しますし、結論なんか出るようなものでもありませんから、現時点の技術者である我々が今後に手を出すべき方向性を示唆して終了です。


当日話した内容をかいつまんで話すと、次の内容が要点に挙げられます。

  • プロの調整家であるはずの政治家や自治体長、組織のボス等の不正な昇進・能力低下によって、調整役の存在しない状況になり、誰もが言いたい事をぶつけて折り合いをつけずに終わろうとしてしまう事
  • 比較的最近認知され始めた言葉の中に“民度”と言う言葉がありますが、その民度がメディア(特に白痴箱)の手によって現在低くなりつつある傾向にある事
  • 継続的な進歩に必要な最低限の必要事項は、江戸時代という近代では一番長く続いた歴史にこそ最大のヒントが隠されているのではないかと言う事


若いときは(と言ってもまだ30台半ばですが…)未来志向が強すぎて歴史に興味すらわかなかったのですが、殆ど失敗しないための定石を採る手法は、歴史を紐解けば以外と簡単に手に入る事が良く分かった事もあり、とても有効性の高いものだと思い始めてます。
学生のときに知っていればよかったな~と後悔。

対話と言うのはお互いが同じ背の高さで話し合う事によって、ようやく成立するものです。
そのため、一方が威張っていたり、一方が萎縮していると成立しません。
相手の背の高さで話を聴いて、別の人に他人の考えを纏めてうまく伝える技術者=プロの調整役になります。
そうして形成して積み上げた対話のレベルそのものが成果物にそのまま直接的に比例します。
民度が低くなると何が問題なのか?と言えば、対話をするにあたっての姿勢をものすごく低くしてゆかなければならなくなるため、最終的に仕上がる成果がとんでもなく価値の低い物になるためです。


技術を融合するときも同じ事ですが、異分野同士の能力を掛け合わせるためには対話が必要です。
技術の場合は、各々の対話できる技術能力の融合が成果になり、また、対話できなければ融合などできませんから、対話の程度が低いとカスのような成果、対話の程度が高いとイノベーションに近い成果物が容易に生み出す事が可能になります。

マネージメント職や政治家等の給与が高い理由はそこにあります。
対話ができるなら本物ですが、現実的にできているか?と質問されて、できていると言い切った人は、ほぼ対話の初期段階すらできてはいません。
あなたが思っている以上に対話は自分との我慢比べに近い状態で任務を遂行しなければなりません。それはとても難しく険しい道のりです。
しかし、任務を遂行した後に得られる成果は尋常ではないほど大きく価値の高い物になります。
昨今見かけなくなりましたが、極めて稀にすごい人に会えるかもしれません。
その出会いを逃さぬようにしっかりと気を引き締めて精進してゆきたいものですね。

ではでは、今日はココまで。
またの機会に会える事を楽しみにしています。