2014年9月30日火曜日

積極的な消去法という王道手法

最近、身近なところでゴタゴタがあり、苦悩することが多いです。
苦悩の要因はおおよそ分かっており、
やりたいことと、現実が合わない(と言うよりは、人生において自分の思想と現実が合うような状況など皆無に等しいのですが…)ので、調整に苦悩するというものです。
この問題は自分が主要因の問題のときもあり、他人が苦悩したのが伝染しているときもあります。

会社の設備で言えば、とある比較的大型のインバータが壊れ、中古の古い代替機を用意して運転継続をしたまでは良いのですが、

  1. 新品の予備を買う
  2. 修理して代替機を作り、さらに整備をかける
  3. もう一台中古の代替機(相当古い)があるので、整備する

のどれかの案で進めるべきなのですが、どれも断るという荒技で会社が動き始めた事があります。

  • そのサイズの産業用インバータ1台の価格は60万近くします。
  • オーバーホールすると14~15万かかります。
  • 私が故障修理するだけでも部品代でおそらく10万弱かかります。

しかし、

  • どれもしない=一番安価だが、工場がいつ止まるか見えない

という選択肢は、大黒字かつ数年間社員の給与は殆ど上がっていない自社にとっては、キチガイじみた選択肢であります。
勿論、現生が無い会社では、何もしない選択が或る程度有力である事は容易に分かりますが、大黒字でコレは…と思います。リスクに対する考え方が皆無ですよね。
寧ろ積極的に会社を止めて痛い目を見せてやろうかという役職の心意気?すら感じられます
この産業用インバータは1つの行程の核に近い部分なので、それで生産止めたら、何十倍、何百倍で返ってくるのです。

コレは単なるリスク管理の問題でもありますが、違う分野での似たような話も山のようにあります。
組織、経営、団体、などなど…。
勿論自分が主体の環境や、上からものが言える立場では結構な好きなことが言えますし、自分が思ったことや、考えたことそのままを実行すればよいです。
しかし、多人数のまともな人にとっての幸せ(≒正義)を考えた場合、個人の思想に基づく行動をそのまま実行する価値があるのかどうかは、甚だ疑問であります。

どっかのアニメが一生懸命になって宣伝していたことでもありますが、
『所詮は他人、同じ世界で育ったのではないし、同じDNAでもないので、同じ思考などあり得ない』
のです。
だからこそのアニメは人類の思念を一つにするという妄想を表に出して売れたのであります。
そうすれば誰も悲しむことも誰が悔やむことも無いのです。
全て自由になれるのですから…。

さて、話は逸れましたが中二病的な話はさておき、私が題目で挙げた『積極的な消去法』と言う手法は、過去多くの人に実践され、もっとも信頼性の高い手法であります。聞き慣れない方に配慮した言葉の表現をすると、“すりあわせ技術”とほぼ同じ(寧ろアレの上位互換)です。

適用が可能な対象は、ものづくり、経営、組織運営、交渉事に近所付き合いまで、様々です。
しかし、この手法は多く語られません。上手いか下手か、過剰か不足か、浅いか深いか、その程度です。
なぜならば、思想に基づく方法論であり、また、核となる技術であるものの、組み合わせて使わなければ全く役に立たない方法論だからです。

しかし、このすりあわせ技術の上位互換とも呼べる『積極的な消去法』を、もう少し世に広めるべきではないか?と思うのです。
今のバブル景気後の日本人は大凡、空気を読むという『積極的な消去法』の代替になる技術ができなくなってきました
日本の若手で製造業という思想自体が結構危険になりつつあります。
日本語という言葉と、過去の栄光・文化と土壌しか強みがありません。
寧ろ、個を主張した教育を斡旋し、今のバブル期の子供の代表格であるモンスター共を生み出してしまった犯罪歴があります。
尤も、汚染されなかった方はかなり優秀な方も多いのですが、ココでは割愛します。


さて、『積極的な消去法』で一番大きな成果を上げているものであれば”コンセプトや仕様の作成”です。
大きな目標や題目が挙げられ、その構成を組み上げる際に、やってはいけないことや、あるべきものではない姿を配慮し、積極的にそれらを除外するという手法ですから、大きな目玉になるものの影は薄くなりがちですが、世に出たヒット商品の大半がこの様な考えで作られています
言い換えれば失敗しない鉄板の王道を模索する技術と言えます。だからこそ非常に深い思慮が必要ですし、哲学的な思想が必要です。
哲学?と思われるかもしれませんが、物事を深く知ろうとすることは既に哲学です。
ほぼ全ての学問は、過去の哲学から分岐しています。
『積極的な消去法』を有効に用いようとする場合、根底にあるものを学ぼうとする必要があります。

一発屋で良いなら、目玉をめい一杯に表向きに出せばよいですが、実際の商品性は著しく損なわれます。
なぜなら、やってはいけないことや、消費者の不便の誘発につながる配慮が欠けている可能性が高いためです。まぁ、言ってみれば2000年中後半のS○NY製品や家電のようなものです。


『積極的な消去法』は自らが致命傷に陥る事が無いという特徴から、かなり有用です。
しかし、世間受けは良くありません
失敗をしないように手を進めるという、絶対敵にに回したくない強烈な攻めの手法ですが、傍目から見れば守りの手法にしか映りません
一時期流行にもなった“俺流”という胡散臭い言葉にすら見た感じの影響力で負けるのです。
どこかでお話をしましたが我流というのは、多くの欠点を孕んでいます過去の大多数の蓄積以上の事が簡単にできる様なら、過去の天才が皆やりつくして失敗の無い世の中になっています。
しかし現実はどうでしょうか?失敗だらけの世の中ですよね?寧ろ、金持ちが支援して中東で代理戦争まで引き起こしています。
貴方は過去の天才以上の明晰な頭脳の持ち主ですか?少なくとも肯定できる要素は殆どありません。
過去の天才を超える存在などではない、だからこそ一生懸命に過去の先人に学ぶ。先ずそこから始める必要があります。

また、『積極的な消去法』は実施自体が非常に難しいものがあります。
にわかに知った程度の知識で振りかざすと、一発で返り討ちです。
下手な刺激は競合相手を成長させ、また攻撃を与える機会を作り出します。
下手な攻撃は、相手の本気を呼び起こします。

だからこそ、専門性に乏しいにわか仕込もでないとお偉い身分になれない不条理な会社が多くなった近年では、あまり見受けなくなった攻め手なのかもしれません。


『積極的な消去法』は、研究・開発・設計、集団行動や、団体行動、交渉事などでも、この手法を通してみてみると、凡そ次の落としどころが見えてきます。
そして、その最短経路を得るための手法ですから、相手に絶対的に有利な時間と投資対効果という優位性を得る事ができます

研究・開発・設計がいつになっても終わらない。
また、会議や打ち合わせは、本来事前に落とし所を決めて行うものですが、最近はそれが無いように思えます。
互いに我を張り合い、そうして時間が過ぎて商機(勝機)を逃し、最短は次の落としどころへ…。
でもそれでも我を張り合うのであれば、どんどん泥沼に…。
で、最終的にはどうしようもない成果と負の資産だけが残ってしまった…。
こういうことよく有りますよね?


こういう手法を予め選んでおく事によって、研究や開発、設計に掛かる時間と費用が大幅に削減できます。また、交渉事もだらだらと長引かせることなく即決で話が纏め易くなります。
他人は変えられませんが、自分なら本人の意思次第で容易に変える事ができます。
他人を変えなくては話が進みませんが、今の人はもう既に人格が形成されており、他人の志向性の方向転換は非常に困難を極めます。
しかし、若い人であれば或る程度まで柔軟に対応できます。

自分と若い柔軟性の有る方に、こういった志向性もあるという手の内を与えてあげること、それも我々のような一歩先を目指そうとしている技術者の役目ではないでしょうか。
また、自分が言いたいことを言うのは容易です。自己主張するだけでは世は回りません
相手が納得し賛同して、初めて世が少しずつ動き始めます
個人の意思程度で世の中が少しでも回ると勘違いされているようならば、それは貴方がお偉いさんとして汚染しまったか、まだ子供であるということです。
自己主張が認められるのは、ほんの恵まれた一部の王様だけですが、それは名誉ある王様ではありません。それでも自己主張を続けたいですか?
私や周囲の多くは、単なる自己主張だけではみっともないと感じています。

ではでは、今日はココまで。
またの機会に会える事を楽しみにしています。

2014年9月26日金曜日

中部技術士会の例会で得たものの一つ

ステークスホルダー(利害関係者)との係わり合いについて、とある技術士(その専門分野では有名な方)の先生が解説してくれていたので忘れないように書き込んでおこうと思った。
※解りやすくする為、少し噛み砕いて説明の文字数を多くしています。そのため、先生の意思とは離れるかもしれない。


1.対応上の責任の明確化
コミュニケーション実行者、方法、内容について関係者の合意を取っておく
内部のゴタゴタが外から見えるほど見っとも無い状態は無い。
内部のゴタゴタが外から見えたとき、ステークスホルダーからの信頼はほぼ完全に崩れる。
重要なのは責任者の明確化、責任者が逃げないこと。
そして、どのようにステークスホルダーと関わってゆくかを事前に内部で合意を取り合う必要がある。下手をすると内部での責任の擦り付け合い=内部のゴタゴタに発展するからだ。
可能な限りの可能性を配慮し、事前に合意を取り合う必要がある。
例外だからと言って、ステークスホルダーが許容することは無いと考えたほうがよい。


2.認識が現実
組織の評判は何が起きたかというより『何が起きたと人々は思ったか』それに対する組織の対応についての『人々の認識』から強い影響を受ける
自分から見えている現実は、相手から見えている現実とは違うかもしれないと言う事実を認識すべきである。
評価は自分がするものではない、周囲が行うものである。
つまり、周囲からどのように映っているのか?を正しく認知しなければ話にならない。


3.ニーズの理解
『伝達相手と、相手が知る必要の有るのは何か』を理解する
自分が伝えたいことは、相手が知る必要のある情報かどうか事前に検討すべきである。
相手が知っても意味の無いことや、過剰に不安にさせるようなことは伝えるべきではない。
4でも述べるように、無駄なやり取りの時間が経てば経つほど評価は悪化する。相手が知る必要のある利害を正しく伝え、無駄な情報のやり取りを避けるべきである。


4.迅速な措置
沈黙の時間が長くなるに連れ、組織の評価は悪くなる。優位な立場を確保する
相手が無駄に感じた時間が、そのまま組織に対する悪い評価の基準になる。
まともに対応する気も無く、問題をはぐらかしているために、誠意が無いとみなされるからだ。
自分がはぐらかす気があるかどうかは問題ではない。
相手が費やしたと感じた無駄な時間がそのまま組織の評価に直結する。


5.公開性
法的・実際的に提供できる情報は、できるだけ提供する。疑念を払拭する
このご時勢、何をやってもそのうち公開されると言う現実を認知すべきである。
そのため、公開しない=悪意を持っているとみなされる。
正しい公開や情報提供は信頼を生む。信頼は金銭では容易に換算できないことを認知すべきである。


6.無関心ではないことの明示
相手の視点に立ち、相手が知る必要のある情報を伝える。自分の語りたいものを語るのではない
相手が知りたい情報を迅速かつ丁寧に提供すべきである。
相手への関心があると受け取られる行為は、相手からの好感や信頼の確保に繋がる。
そして、好感や信頼は金銭では容易に換算できないことを認知すべきである。
己が語りたいことを語っても、それは相手が望んでいるかどうかは甚だ疑問であることを認識すべきである。
相手が論点を外されたと感じたとき、無関心であると受けとらる。
無関心であると受け取られた場合の信頼性の低下は尋常ではない。
必要ではない情報ほど迷惑なものは無い。問題・論点・視点のすり替えは避けるべきである。


大文字の太字が先生が話されたことで、その解説は私が勝手につけたものです。
先生の意思にそぐわないかもしれませんが、私にはこの程度の理解力しかなく、それでも有益だと感じたのでメモしました。

ではでは、今日はココまで。
またの機会に会える事を楽しみにしています。

2014年9月20日土曜日

今週明るみになった携帯電話業界の動向について

携帯電話というモバイル業界では、今週iPhone6の発売とS○NY大赤字で湧いております。
今日はそのネタについて一つ、好き勝手なことを言ってみようと思います。

少し前の話ですが、三星電子(サムスン)とAppleの仲がそんなに悪くなかった頃の話です。
ドコモはiPhoneを販売して欲しくて仕方ありませんでしたが、中の労働組合な方々が三星電子マンセーと言って、会社は動けませんでした。
ご存知の方も多いと思いますが、朝鮮・韓国系の企業&国家は、大手企業や官公庁の内部に産業スパイを送り込んで中から崩壊させます。残念ながら、そういうのに引っかかってしまう人って、多いですよねぇ~。

当時、三星電子はAppleの情報が駄々漏れでしたし、請負会社ということもあり、ソフトウェア以外は真似した物が即日できます。
三星電子は倫理観が日本とはかなり変わった会社ですから、他社の技術も勝手に教えてくれますし、docomoの経営陣は、
『まぁ、同じまではいかないが、似たものならそれで良いっか…』
と、諦めていました。

話は少し離れます。
以前どこかでお話した内容ですが、Appleは自社で研究・開発をしていませんでした。
少し前まで、三星電子に製品の原案とソフトウェア以外は殆どすべてを任せ、市場調査から、設計、研究開発に至まで、すべてを一任していました
理由は安い労働力と、日本企業からの委託業務、各国(と言っても主に日本ですが…)に点在する産業スパイの方々から、いくらでも他社の情報と、そこそこの技術が格安で手に入れられる裏打ちがあったためです。

そんな訳で、docomoはAppleと三星電子の仲がよい状態である限り、そこそこ高い技術力が約束されていたと言う前提で、三星の携帯を売るのに全力を投じていたのです。
しかし、世は乱世・経済戦争の真っ只中、こんな腐った社会構造を厳しくなり始めた世の中が許す訳もありません
ジョブズ氏が余命を悟った頃、ジョブズ氏が身辺整理のためにかなり強引な三星外しが開始されました。
Appleのやり方において、それまでの業界内の社会的信用という面の負債はなかなか拭えません。
iPhone6でもその片鱗が比較的に代替品の多い部品を供給して貰うと言う面で残っています。

話を戻して、
スマートフォンにとって、組み込みソフトウェアが肝なのはPS VitaでS○NYが大々的に宣伝した(ハードウェアはほぼ日本製品だが、バグだらけ)訳でして、docomoは三星電子の製品トラブルで、しょっちゅう不具合対策(主に多額の金銭面)に追われていました
だからこそAppleはソフトの核を三星電子に任していません。
この三星電子製品の不具合によるdocomoへのクレームの嵐とAppleの動きや世間の一連の動きの結果、docomoは三星電子が危ないことに最悪の事態になる前にようやく気づき、社内の内乱を強引に押さえつけてでも三星電子を外そうと動き始めたのです。
ただ、周囲は当然のように“やっと気付いたのかよ”という反応だったのは、言うまでもありません。
しかし、1つの大きな組織を動かすにはどうしても根回しが必要になります。
社員がしっかり食える状態を確保しつつ舵取りですから、経営者がまともであるほど乱暴な動きはしませんし、できません。安易に動く奴は素人です。もし私の言いたい事が解らないようなら、経営者は社員全員とその家族の運命を背負って立っているという事を覚えておいてください。そうすれば時機に答えが見えてくると思います。

さて、いきなり外したくても三星電子が市場を荒らしきり、殆どの日本企業が体力を残していません。しかも、ナンバーポータビリティー以降一人負け状態のdocomoにとってあまりよくない状況です。周りの製造メーカーは今までdocomoが上から目線でこられて痛い目をしてきたために、メーカーはdocomoの言う事を聞くのにはちょっとなぁ~という有様です。

そこで、目先のお金が欲しくて堪らないS○NYへ“赤字だから少し助けてやる。だから携帯に力を入れろ”と、言い寄ったのです。

さて、ここで皆様はdocomoがAppleに喧嘩を売る気がないことは分かると思います。
寧ろ助けて欲しかった。さらには、三星電子だけを追い出して、他の会社はゆっくり動かすべきだとも考えています。
もっと言えば、この一連の業界の流れから言えば、三星電子が売っていた市場より少し小さい市場以上は売れないことを意味しています。

しかしS○NYは、自社不動産の売却で赤字を少しでも減らそうとする会社。
黒字になるならば…と、何を血迷ったのか余っている人間を片っ端から集め出したのです。
今回の大赤字はココが発端です。つまり経営層の意図的な人員配置です。
工場を閉鎖(して売却して資金調達する予定)の為、早期退職を散々やった挙句、それでも自主的に出てゆかない人を掻き集めたと思ったら、いきなりやったこともない携帯業界に押し込めたというやり方です。
そしてS○NYは一気に力を入れ始めたわけです。そう、過剰すぎるとも言えるほどに…。
尤も、docomoから還付される資金は大方見えていますから、先を見越して今回の赤字を理由に首切りを強制執行するのであれば、経営者も中々食わせ物だと思います。
しかし、つい最近まで本気で求人を出して一生懸命人を集めようとしていたという実績もあり、経営者はそこまで考えていないと思われます。

さて、S○NYのように大きな看板を背負っている会社の場合、赤字が慢性的という事は、内部の社員は前向きな生産をしないで給与を貰う能力に長けていると言うことを意味します。
過ぎてしまった過去の栄光(ブランドとも言う)だけで喰っている…そんな感じです。

ここが赤字を発表される前のS○NYの流れです。
みなさんはここでお分かりになると思います。
既にお気づきだと思いますが、この会社の経営者は経営をしていません。
経営社が動かせるもの・動かさなくてはならないもの、それは適度な物資(資金)と、適切な給与を支払うに値する人間、そして、仕事を完了する事ができる適切な時間です。
今回の件で表沙汰になりましたが、このどれをも満足に動かせていません。
非常に残念な会社になっている。そういわざるを得ないでしょう。
私は随分昔に内部に居た事があるので、どうしてココまで酷いかは凡そ掴んでいますが、それを自覚することは非常に困難でしょう。

凡その企業の場合、マネージメント層はマネージメントをしたくてやっているのではありません
新しいものについていけなくなったり、過去に居た人がその仕事で成果を出すのが厳しくなって来たから交代したという消極的な理由が殆どです。
確かに年月は駆け引きの多様性、方法論の多様性という面で強力な武器になります
しかし、年月は残酷なもので、どうしても新しいものを容易に受け入れることはできなくなります
だからこそ、マネージメント層はマネージメントの方法をその職になる前に身をもって勉強しておく必要があるのです。
マネージメントは駆け引きです。ですから年齢に大きな差は生まれませんし、手持ちの技が多ければ多いほど有利です。
その技は本来、若いときに覚えるべきものですが、そこを怠ると優秀なマネージメント層にはなれません。
つまり、大企業に多い現場から追い出されて進む年功序列組織の中において、ネージメントもできない人間は単純作業か首切りなのですが、それをできない体質であったり、寧ろ正しいマネージメントをさせない教育を定常的に行っていると今回のS○NYのような結果になります。
この会社にはそういうシステムが組み上げられていますし、かなりガチガチで変更も非常に困難です。
勿論、マネージメントや経営で覚えることは非常に多いですが、業界の進歩する速度に比べたら非常に緩やかですし、はるかに古典的で、感性を要求するものの方が重要です。
つまり、好きでも無くその上級と呼ばれる職位をやっているのであれば、それ相応の努力をした上に部下全員の家族が肩に掛かっているという重石を感じながら職務に就かなくてはなりません

貴方にはその覚悟がありますか?
また、貴方の上司はその覚悟があるように映りますか?
楽して稼ごうなんて思わないことです。
今日貴方が楽をした分、世界の誰かがその分の労働を強いられています。そして、その付けは近いうちに貴方に返ってきます。
尤も、金銭で返ってこない事が多いので、目には見えない事がとても多いと思いますが…。

ではでは、今日はココまで。
またの機会に会える事を楽しみにしています。

2014年9月16日火曜日

くだらない派閥争いもどきと言う非生産組織の生成に対する苦言

おはようございました。

タイトルにもある様な下らない派閥争いと言うのは何処にでも在るもので、私の回りにもそれがあります。
悲しい話ですが、それなりに優秀な方々の組織と思われる団体にもよくあります。
正直な話、“鬱陶しいから止めてくれ”と思います。
理由は“非生産的な組織の育成議論は価値に値しない”という理由からです。

彼らはよく『君は○○派か?』とか質問を投げかけてきます。
意識の所属、それはとても大きな組織で大きな仕事をするには必要なことかもしれません。
意識の統率が無ければ大きなプロジェクトは動けませんし、成功する確率も大きく変わります。
しかし、我々が意識するほどの大きな仕事と言えば、国が動く単位・国の経済が動かせるほどの仕事です。
目の前の利権で何かが転がる程度、言ってしまえば数人の生活がどうにかなる程度の事でしかないような他愛も無い事である場合、こんな非生産的な議論を持ち込むのはあまり好ましく無いと思います。
私から言えば、妬みや自分の不甲斐無さを誰かに押し付けているだけの言い訳に聞こえて、大変見苦しいのです。

その派閥とやらに属して、何か大きな仕事ができるのでしょうか?
その派閥とやらは、単なる攻撃を避ける為の隠れ蓑ではないのでしょうか?


私は、お世話になった人には過剰なほどに恩返しすべきだと思いますし、売られた喧嘩で勝てる見込みがあるならば徹底的に曲がりくねったやり方で潰してやれとも思います。
ですが、それ以下も、以上はする必要も無いです。

誰かに好かれるということは、誰かには嫌われる側面も持ち合わせています。
好き好んで敵を作っても仕方ありません。
また、中途半端な仲間(いわゆる顔見知り程度)を必要以上に作ると、攻撃されたときの被害が拡大して、偉い目に遭います。

派閥ごっこをしている程度の知り合いでは、本当の意味で信頼に値する仲間にはなれません。
大凡が攻撃されたくないから言い訳を盾にしている方々です。そんな方々は、危機に瀕すると真っ先に逃げてしまいます。
そんな仲間が欲しいのですか?私は要りません。

私が欲しいのは、互いが危機に瀕したとき、死ぬ気で守る覚悟をしてくれる心強い見方です。
だから私は堂々と言い切れます。知り合いは多いかもしれませんが、仲間は決して多くはありません。
また、0ではない、これだけでも十分です。有無の差は非常に大きいです。
世間の金の切れ目が縁の切れ目と言う方々の集まりを友達と呼ぶような集まりとは、大きく違うことを意味します。
私がもし何かの窮地に立たされたとき、死ぬ気で何かをしようとしたときの超強力な心の支えになります。

ではでは、今日はココまで。
またの機会に会える事を楽しみにしています。

2014年9月12日金曜日

RS-232Cという曲者には気をつけろ!

おはようございました。

家では様々な機器を勉強がてらに弄っているのですが、その中で起こったちょっとした話題をひとつ。

RS-232Cというちょっと前のパソコンについていたシリアルポートを使って接続する機器が結構あるのですが、困った事に厳密な規格(の準拠品)ではありません
もっと言えば、市販の製品から標準化規格が制定されましたが、規格に準拠すると価格面で高く付くので、誰も相手にせずに無視し始めた悲しい規格です。

厳密ではない規格の何が困るか?
ズバリ“相性が悪いので動きませんこの響き、懐かしいですねぇ~
おや?誰ですか?ニヤッとしたのは???

このシリアルポートの信号レベルは
 Low:-3V~-25V
 High:+3~+25V
という間の電圧にありますが、この電圧にあるものを全て認識するように作られている装置(受信機側)が意外と少ないです。

例えば最近弄っている中では、
三菱のサーボJ2Aシリーズでは+13V、-15Vぐらいを出しますが、
秋月電子のUSBシリアル変換機(スケルトン)では±5.5V程度です。
ん?動くんじゃないの?と思ったら甘い!!

この信号の出力の場合、サーボパック側が認識し無い事が有ります。
サーボパック特有のノイズ対策なのでしょうが、±5V前後から低くなると認識しにくくなります暗黙知と言えど、規格無視ですよねぇ~

こういったノイズに対して厳しいものは、おおよそRS-485か、RS-422の通信ポートが用意されています。
三菱のサーボパックの場合は増幅器をこしらえるか、若しくは素直にRS-422で動かすようにしましょう。
現場でサービスマンをしようと思ったらパソコンとの相性が悪くて死亡…そんな悲しい事故が平気で起こります。
半導体製造装置業ならクリーンルームなので、出入りが超絶に面倒臭い上にお金の絡みも物凄い額面で超絶に面倒なので、超悲惨…(涙

備えあれば憂い無しです。こういった相性物が嫌いな方は、USB⇔シリアル変換機の特性をしっかり確認し、ひとつは強力な±10V近く出そうな奴を持っておくことをお薦めします。

ではでは、今日はココまで。
またの機会に会える事を楽しみにしています。

2014年9月6日土曜日

平社員は責任を取れません

昨今、日本の若者と呼ばれる方々が働きたくない理由に“過剰な責任追及”という問題があるので、今日はそのお話。

最近?の社会人で結構なお年の方々は、『責任を持って仕事をしろ』と平気で言い放ちます。
果たしてそれは正しいでしょうか?私はかなり疑問を感じています。

本来、一般平社員は裁量が厳しく制限され、実質的に会社を自由に動かせる部分がほとんどありません。
物品購入も殆どできませんし、交渉事も会社として契約書を交わすことなどできません。
つまりは、責任を取りたくても取り様が無いのです。
平社員と言う裁量の枠の中で、どのようにすれば責任を取れるのですか?逆に知りたくも有ります。
勿論、裁量が認められているのであれば話は全く別になります。裁量があれば責任を取ることができます。しかし、平社員で裁量があるのは企業でも少数派です。

私のブログでは時々責任の取り方で御託を並べさせてもらっていますが、辞めたら良いだけならばそれは責任の放棄であって、責任を取ったとはとても言えません
発生した損失を補填し、なおかつ少しの利益を出したところで、初めて責任を取ったと言える状態になります。

日本の企業に勤めている方々で、よく辞めて責任を取るとか言う今の有り方は非常に問題があると考えています。
辞める時に私財を差し押さえられても居ませんし、会社に対して罰金を支払ったわけでもありません。勿論退職金や給与は出ていますから、逃げたと言うのが正し言い回しだと思います。

個人事業主と言う立場や、零細企業のボスになると明確に見えてきますが、責任と言うものは安易に取れる訳ではありません。死ぬ気になって働いて、初めて取れるかどうかが微妙なところです。
責任を取って辞めろと平気で言う人が居ますが、会社の金を盗んで逃げなさいと言っている訳ですから、アレはキチガイの極みであると断言します。

では、世間は平社員に対して、一体何を求めているのでしょうか?
それは“責任感”です。
会社で働く以上、会社の看板を背負って世間に出ている自覚を持つことと、ロとして自覚しプロであり続けることを要求されます。それは給与や報酬に対しての義務に相当します。
プロとしての自覚、会社の看板を背負う立場に居ることをしないのであれば、それは正規の社員ではなく、ただのアルバイトや非正規社員の一人でしかありません。
つまり、首を切られても文句を言えない立場に該当します。
だからこそ非正規社員に責任が関わるような仕事を絶対にさせてはいけません。彼らは今の所属から即日逃げる事を法的に許されています。

この“正規の社員として必要な責任感”と“責任を持って仕事をする行為”を混同している老害が多く、最近は非常に目に余ってきた為、世間の若い人が会社に就きたくないという明確な意思表示をし始めています。また、同じ老害に攻撃されるなら大手企業のほうが対価が大きいのでマシだと思えるのです。
これが大企業崇拝の一端です。まぁ、現実的には大企業であるほど、老害からの責任の擦り付けが酷いので、即座に逃げてしまうのですが…。

この歪な構図、目にしたことはありませんか?
若い人間で精神的に弱い人が多数派であるのは、今の社会情勢上事実ですし、昨今の育てた親に問題が多い以上、しばらくは避け様が無い事です。
しかしそれ以上に会社に巣食っている老害と言われても仕方ない方々が、若い社員に対して過剰な責任追及をしているからこそ定職率が下がるのではないでしょうか?

現在、貴方が新入社員であったときよりも圧倒的に不遇な世の中になりつつあります。
それは会社の方針でもあり、拝金主義という世の中が行った施策でもあります。
物価は実質的にかなりの上昇基調であり、住む所と食べるものにも困ると言う世の中でありますが、報酬は一向に増えては居ません。過去から確かに給与は上がりました。しかし、手当てと呼ばれるもっと大きな報酬がほぼ無くなっています。今は、働いても生活ができないのです。
そのような中、責任の押し付けを行ったらどうなるかは明白ですよね?


最近の若い人が何故会社に居続けることができないのか?
それは単純に若者だけの責任ではありません。貴方がやっていることは何ですか?
もう一度自分を省みて、自分の立場に合った行動を採られる事をお勧めします。

勿論私も今は平社員なので責任を取りません。しかし、私の立場は電気主任技術者と言う武器を使って同僚を守ることに有りますから、老害からの攻撃に対して立派な盾になり、同僚を守ろうと思います。


ではでは、今日はココまで。
またの機会に会える事を楽しみにしています。