2014年4月30日水曜日

カーオーディオのコンデンサチューンといわれるものは効果的なのかどうか確認してみた(PSRRのみ)

とある方がカーオーディオの前にコンデンサ入れて楽しんでいるのを尻目に、
『今更ながらだが、電源のノイズを取ったところで、どのぐらい効果があるのだろうか?』
『ひょっとしたら本物のプラセボ効果じゃないのか?』
なんてふと思い立ち、原理原則は捕らえているものの、定量的な数値がまったく見えないので不安に駆られてしまいました。

何故だか解りませんが、夜も満足に寝れません。
チキン野郎は本当に困ったものです。無駄に感受性が高いのです。きっと…。
そう前向きに捕らえながら、早速お家にある装置で電源ノイズ除去比を測りました。
こういう思い立って即行動できるあたり、無理して測定器揃えてよかったなぁ~と思います。
根っからの面倒くさがりの私は、数時間経ったら面倒くさくなって熱が冷めますもんね…(困ったものですが…)。

さて、今回計測した電源ノイズ除去比を要約すると
電源の暴れが発生したうち、いったいどれぐらい伝播されるのを防げるか?
という能力を問うものです。
電源やアンプの評価でよく用いられます。
電源が真に安定していれば意味を成しませんが、世の中のものはたいてい有限の値を採ります。
電気に真の理想郷などありません。
銅線だって結構な抵抗体です。

そんなことから、周りで電気を使うものが居れば、おのずと電源は暴れるわけで、その振動がどのようにオーディオの信号に混入されるか?というものを測りました。
例によって周波数軸で分けて測っています。こっちのほうが他の事象と比較しながら検討するのに非常に分かり易く、大変便利です。

また、今回結果はデシベル値で出ているので、20dB⇒電源の振動の1/10倍が出力に現れます。
0なら1倍、40dBなら1/100倍、60dBなら1/1000倍です。

結果を見てみると解るように、以前私が測定して晒していた“バッテリーのインピーダンス”の高くなりだしている所と、PSRRの悪化し始めるところが見事に重なっています。

この傾向は、バッテリーを良い物へ変えようが、自動車内で発生した他の電気機器のノイズはオーディオに現れることを示唆します。

そして、コンデンサをうまく施工し、バッテリーの電源インピーダンスを低下させる事は、計測結果からも十分に効果のあるものである事が証明されたわけです。
…ヤバい…うちの車は何もしてねぇYO!
ということで、素直にどこかのガレージを借りて、カーオーディオ周辺の電源インピーダンス測定とコンデンサ、コモンモードチョークコイルなどを使って施工という、1日中戦う予定ができました。

カーオーディオへのコンデンサは正しく設計して快適な生活を送りましょう。
そして、大雑把でもいいので、定性的な結果だけでなく、定量的な結果をしっかりと感覚と捕らえておくようにしましょう。
何か突っ込まれたとき、大雑把な値を話せるのと話せ無いとでは、雲泥の差が現れます。


ではでは、今日はココまで。
またの機会に会える事を楽しみにしています。

2014年4月29日火曜日

思考停止のその先に

最近、様々な方々とやりとりをする間に、一つの傾向が見えてきました。
思考停止に陥っている人間は、
質問するときは、少ない言葉数でぼやかした質問を行い、
解釈するときは、自分の都合の良いようにしか解釈できない。

というものです。

何のことはなく、人間自体が都合の良いように捉えるという話を以前にしましたが、その同類です。
具体例を挙げると、
  •  アーティストに『ファンなんです。何でも良いから○○してください』
  •  質問相手に具体的な内容を含めた質問ができない
  •  設計者に目的や目標を言わずに設計させる
  •  現実的ではない仮想的な対象を研究成果による攻略対象とする
その結果、
 当然、返ってきた返事や回答が、意にそぐわない物であるので、周囲に不平不満をほのめかすという行為に及びます。
コレで終わればいい方で、どこかの国の方々みたいに
 賠償や、謝罪を要求し始める※あえて朝鮮系とは言いません
という行動を起こす人も居ます。

特に厄介なのは日本語圏で、日本語は片言でもだいたい通じるのが当たり前なので、
 空気読めよ!!
というのが標準であったりします。
厄介なことに、アーティストな方々は正当な対価が支払われれば、それなりにでも期待値に近い物は出せますし、そもそも、独自色が欲しくて曖昧な仕事しか依頼していないので、問題が表面化しないことが多くあります。
だからこそ、
 一見大したことが無さそうな1枚の絵を描くのに数日かかる
のですし、
 1曲作るのに年単位かかります。
だからアーティストにも無報酬で依頼してはいけません

成果が大したものでなければ、設計者は時間をそこまで費やさないのですが、
設計者にこのような質問が依頼がされると、とても困ります。

  •  具体像が見えないので、質問し返す→鬱陶しがられる
  •  おおよその推察で依頼を受ける→実は大した内容が欲しいわけではなかったので無駄骨
  •  相手が質問できるレベルにはないことを諭し、適当にあしらう→不平不満の嵐

要は、質問者が満足し得うる成功確率は、とてつもなく低い状態になります。

よく、相手が小学生・中学生であっても、解るように説明できなければならない
ということを真意を捉えずに軽々しく語る方が居ますが、
現実の世界では小学生・中学生に説く場合よりも、たちが悪い人が質問をしている
という場合が大半であることを十分に認知すべきだと考えています。
ですので、
こういうことを普段から平然と言う人間は、お里が知れている
訳です

小学生・中学生は、めい一杯吸収してやろうと貪欲であり、
解らなかったことはもっと租借して欲しい意思表示を行います
しかし、中途半端な人生経験が豊富そうな青年以降の所謂”オトナ”は、解った振りをしてその場を誤魔化します
理由は、小さなプライド、面倒くさい、恥ずかしい、等様々です。
その結果、満足できない・私が正当なのだ・私は被害者だ
と、宣い始めます。

知らないなら聴けばいいし、質問したことの意味をしっかり考えると行うことをすればいいだけなのですが、彼らはそれを望みません。
思考停止した彼らにとって、考えることが既に苦痛であるからでもあります。

知識を得て、それを正しく用いようとする行為は人間の徳
なのですが、
彼らは既に人間であることを早々に辞めたがっている
のかも知れません。
知らないなら知らないと言える勇気、実はとても重要なものなのですが、我々オトナと呼ばれる世代には一番欠けやすいものなのです。


この思考停止が進んだ結果、アルツハイマー病、痴呆老人等の問題に発展します。
貴方は痴呆=他人に害を振り散らかしてでも生き長らえたいですか?
アルツハイマー・痴呆老人は、地球社会としての美徳には大いに反しますが、反社会的勢力になってでも、生き延びたいですか?

もし貴方が日本人であるならば、切腹所の騒ぎではないのは、十分にご理解いただけると思います。

質問するときは、相手に質問する姿勢をしっかり提示できるようになるか、全力で吸収する姿勢を見せましょう。

いい年した人間であるにもかかわらず、中途半端な質問姿勢は、相手に対して、非常なる失礼に当たります。

ではでは、今日はココまで。
またの機会に会える事を楽しみにしています。


2014年4月23日水曜日

山武の流量計 KIX20A + KID10A 修理 (KIX20Bも同じようにできます)

今日は実用ネタを一つ
※一応、社内の機密に該当しないことを確認してから公開しています。勿論業者からは相当嫌がられることを覚悟してますが…。

山武(現在のAzbil)社の流量計
KIX20A + KID10A の組み合わせの延命修理です。
※分離型の物、KIX20Bでも同じように修理ができます。
おそらく後5~6年は使えるようになります。

そもそもの発端は最近誤動作し始めまして、交換したことに始まります。
交換したのは良いが捨てるのは勿体無い…。

だって新品は30万円超えたんだぞ!

会社の金だから勿体無いんじゃない!
稟議書を書く時間が勿体無いんだ!!
(20万円超えたら稟議書)

これを会社の人が見たら笑われそうだな…。
そんな訳で、早速故障解析をし始めました。

見た感じ

  • 内部電源生成用のトランスの樹脂材が経年劣化で割れている。
  • 内部の電解コンデンサの日本製品はほぼ寿命時期

(SPRAGUE製?のほうは超長寿命で問題なさそう)

これぐらいしか問題要素が見当たりませんでした。
度々のつまり、正常な寿命を全うした経年劣化です。

日本製コンデンサは指定された寿命で綺麗に壊れるので、面白いです。
しかし残念ながら、海外メーカーのように露骨な産業用途品=超長寿命品がラインナップに無いと言うも問題もあります。
これを設計能力の向上ととるか、客にやさしくない会社だと取るかは、意見が分かれるところですね。

そんなわけで、電解コンデンサ交換後は、無事に動作をし始めました。
電解コンデンサ交換時に次のことを実施するとよいでしょう。

  • 電解コンデンサにセラミックやフィルム系のコンデンサを並列接続しても問題ない箇所は、積極的につけ
  •  

これは、コンデンサは動作時にリップル電流によって内部発熱が現れるのですが、並列に低ESRのコンデンサを配置することにより、いくらか軽減できます。つまりはコンデンサの温度が下がり、寿命が延びます。



  • コンデンサの胴体の根元と基板の間にポリアミド系ホットメルトか、電気部品用の接着剤を塗布する

これははんだクラックの発生低減に大きく寄与します。

交換したのは写真の電解コンデンサです。また、トランスの樹脂をポリアミドホットメルトで補修しました。



そんな訳で、会社の機械を捨てるときは、素直に分解整備して直るかどうか確かめてみましょう。
単純な劣化が原因の場合は延命修理ができます。直れば儲けものです。
延命を正しくすれば、今までの寿命の0.5~1倍分さらに伸ばすことができます。
つまり、おおよその場合本体料金の半額分以上は稼げます
つまり、200Aみたいに口径がでかくなると、40万以上は経費削減になる訳です。


でわでわ、今日はここまで
また会える日を楽しみにしています。

2014年4月20日日曜日

日本車を悪くしているのは本社組織

私は日本人ですし、日本という国が好きですので、日本製品を可能な限り購入したいのですが、いかんせん日本企業の成果物がそれを購入をさせてくれない事が多々有ります。

例えば日本車ですが、
日産⇒韓国産部品(特に特許絡みで問題視されているポスコ)
ホンダ⇒韓国産部品を積極採用の表明、おまけにシステム屋、ソフト屋の能力不足(乾式のDCT問題)の露呈

というような構図が代表例にあるように、日本製でうまく纏めようという気が見受けられません。

実際にアジアやその周辺諸国の海外工場や、製品を見れば解りますが、現実問題として、

  • リードタイムが長い
  • 品質が安定しない
  • 最初は安定しても途中から一気に悪化する
  • 原材料が手に入らないので、結局日本から輸出が必要
  • 現地人は日本人以上に社員教育に手間隙がかかるので、無駄が大きい
  • 職場の定着率が圧倒的に悪い(尤も、今の日本社会は会社自ら社員を冷遇する事によって定着率を下げようとしているので、ココは意見が分かれるところですが…)
  • 日本の教育とは違い、基本的な能力が低い(読み書き、足し算引き算レベルの問題)

というような問題が先ず現れます。
そういった現実的な問題を加味すれば、結局はソコソコ高めの価格にしても、日本製が一番品質を制御し易いという事実が見えてきます。
ただ残念なのは、最近
“会社は社員の冷遇によって積極的に会社の内部崩壊を促進している”
という事実があります。
そのため、日本製といえど、会社が微妙な企業は品質が悪くて当然です。
この事実はしっかりと認識しておくべきでしょう。

本来、会社は一度でも成功の軌道に乗り始めた場合は、外の力では容易に潰れません。
会社が潰れるおおよその場合は、社員自らが、自らの意思、自らの手によって、会社そのものを破滅へと導くため、成功の軌道から大きく逸れ、取り返しの付かないところまで足を進めるのです。


そういった企業のひとつにトヨタ自動車があります。
最近ハイブリッドばかり出していますが、そのシステムは昔に比べてものすごく安価な構造になりつつあることをどれだけの人間が知っているでしょうか?

そもそも、1代目プリウスを作った方の志は非常に高く、安全を多重に配慮する事が前提で作られています。
そのため、非常に高価で、一般人に販売すると赤字が出ていました。
駆動源のインバータ回路は完全に2重化され、1回路が死んでも継続走行可能な構成。
つまりはこの前のIGBT破損による急激なトラブル発生⇒リコール対象のような現象は簡単にはあり得ません。
ブレーキは機械式の上に電気式を付け加える方式。壊れてもブレーキは機械式で動作します。これも2~3代目のリコールや改善で問題視されました。
バッテリーはしっかりと上下限まで使うので、システムとしての正しい寿命を電池の劣化という形で表していました。

つまり、ハイブリッドシステムは環境対応車ではなく、ただのハイテクカーというだけだったに過ぎないことを、自らが公示していたのです。
まぁ、東富士研究所の成果物ですから、極至当然ですよね。

しかしながら営業企画側は別の意味で捉えました。
電子化されたパワーステアリングでは、当時のオルタネータで充電電力が足りていません。
そのため、初期型の高級車では平気でシステムダウンする問題がわかっていましたから、このシステムを搭載する事によって、
“エコと見せかけて電子化されすぎている車内環境の充電不足を何とか補おうとした”
訳です。
生憎、ハイブリッドはエコだと勘違いさせるのは容易ですし、ハイブリッドの本命的システムだったホンダのインサイトも電気2重層コンデンサ方式から電池に方向転換をしたので、暫くは敵が出ません。
そんな訳で1代目のプリウスで得た社会実験データを基に、機能の削減と、徹底的な簡素化=一部の不安全化と非効率化を果たしたのが2代目以降のプリウスです。
2代目はバッテリー電圧を一度昇圧して効率を落とし、モータの回転を稼ぎ出力を上げる。
3代目に至っては減速ギアを用いて機械効率(つまりはシステム効率)を落としてでも売り込むという徹底振りです。
結局のところ、1代目の意思とは似て似つかないものに成り下がりました。
ハイブリッドシステムとは何なのか?もう少ししっかり見直すほうがいいのではないでしょうか?
減速のエネルギーを加速に使いたい…たったこれだけのシステムだったはずです。

トヨタが特に色が濃いのですが、日本車をお薦めできない理由が別にもあります。
メーカー純正のオプション品(ディーラーオプション)の一部は、社外の製品なので、実質的サポートを受け難い状態にあるという問題です。
潔く社外品で構成すれば施工をしていただいた業者さんや、部品販売店と連携できます。
しかし系列会社のオプションとなると話が別です。
縦割り体制が非常に厳しく、情報融通をしてくれません。そのため、業者への対応・ハンドリングを自らが行わなくては成りません。
同じ系列会社でも、会社名が違えば相手にしないことも多く、そこをディーラーは何とかしようとするのが普通だと思うのですが、今はしてくれる人が殆ど居ません。

現実問題として、これは労働環境にも問題があるからだと思います。
ディーラーのノルマは結構厳しく、人間扱いをしてくれません。しかも給与は劇薄…。いい人はすぐに辞めてまともな仕事に移ります。
これは日本人が値引きをしたがる=相手ディーラーの人間の給与を払わないのも一部の要因です。
ですので、私は相手の瑕疵が無い限り工賃も販売価格も値引き交渉をしません。払えないなら自分で作業するという方式で挑みます。
給与が安くなり、激務のノルマが与えられた結果、ディーラーの質が下がり、どんどん会社と会社中間の面倒くさい問題をディーラーがこなさなくなり、最終的には客に投げ始めます。
本来の仕事を放棄して、単純に窓口化しただけの構造になりました。
そういった兼ね合いから、トヨタであればTRD、モデリスタ等は、ディーラー同士と手をうまく組んでくれない事が非常に多いです。エリア86とは何なんでしょうねぇ~(棒
客が困っていようが何しようがお構い無しです。クレーマーと同等に扱います。
1人の顧客が居なくなっても、彼らには全く害が無いと信じ込んでいますから。
このご時勢で口コミのほうが重要だと言うことをまだご理解されていないようです。
カタログや販売店の言い方、売り込み方は、あたかもディーラーでサポートを受けれるような言い回しが濃厚なので、そのうちコンプライアンス問題として、JIS Z 26000で叩かれそうな勢いですねぇ~

結局どこのメーカー、ディーラーも同じように質が下がり始めているので、顧客はディーラーにお金を払わない、会社はディーラーへの販売促進金の付与を下げるという形で、自らが自らの首を絞め、日本車を購入した後の処理ができなくなってきました。

こういった状況で会社の実質的な景気が上がるわけがなく、給与は減ります。
しかし、社員の数は多いですし、事務系の人間は捏造した成果を全面に押し出して、給与を下げさせてくれません。
仕方なしに技術系、現場系の社員の給与をひっきりなしに下げ始めます。
しかし、自社の社員や関連会社で、興味を持ったから入っているという事務系以外の社員のほうが有力な顧客ですから、その収入が減るので…。後は負のスパイラル。
自らが失策しているのですが、誰もこの失策を止めません。
トヨタ系社員のうちのどれぐらいの社員がトヨタ系の車を持っているか?技術系の社員の実態はどうなっているのか?実際の現場を見てもらったら明白ですよね。

結果、ヨーロッパ車は品質はそこそこですが、価格に見合ったものを作るので、そちらに流れ、日本車が売れなくなります。
ヨーロッパ圏では1ユーロ=100円の感覚ですから、我々が買っている価格の7~8割の価格で買える訳です。
日本車が売れない、売る気が無いとしか見えないのはもう明白ですよね?
代わり映えの無い張りぼて、弄るとサポートしない会社、なのに弄るのを暗に促進する(ディーラーオプションは非常に優秀な収益源)組織体制、弄ったら壊れるように出来ている見事な寿命設計。どう考えても日本車を購入するのは建設的ではないですよね?
素直に都心に引っ越すか、中古車を使いまわすか、親のを借りるか?それで御仕舞いです。買う気なんてとてもなれないのが普通の人間の感覚です。
尤も、私は日本車がこんな有様でも、札幌で火を噴いたVWには乗りたくありませんが…。

でわでわ、今日はここまで
また会える日を楽しみにしています。

2014年4月13日日曜日

職場教育問題と倫理問題の共通点

技術倫理と社会 第9号 に寄稿させていただきました。
題目は『集団活動における技術の限界』です。

共通の題目であった“我々の9年、気付きと築き”を強引に無視して、この題目と結構きわどい事を言い放った一文です。
エンジニアが宗教や、政治に口出して良いのか?
倫理で飯は食えませんが、倫理が無ければ飯は食えなくなります。
それは技術にとっては倫理は、人間にとっての水や空気と同じものだからです。
などなど、言いたいことを書いて、題目につなげようとしたら、ものの見事に失敗したと言う代表例です(汗。

刷りたてホヤホヤの冊子なので、いくらか在庫があります。
欲しい方は
ETの会ホームページ
迄、または私へご連絡をください。

この絡みもあって、ETの会
場所:技術士会 中部本部会議室
時間:5月18日13:00~17:00
の後半で、お話をさせていただく運びになりました。
省エネ絡みで話すことは決まったのですが、さて、何にしようか考え中。
最近の落ち目企業・中小企業にありがちな厳しい現実と、エンジニアには何ができるのか?を具体的に模索しようと思います。

さて、本日はこのETの会で、技術倫理では現場と学術をつなげて教育を変えてゆこうとしている 比屋根 均氏から、研究論文の断片の紹介と、その展望について話題提供がありました。
結構なボリュームで、現場で苦悩している人には超絶にありがたい内容ですが、良い会社・特に苦悩する立場ではない人には、眠気的にちょっと厳しい内容だったかもしれません。

さて、その講演を聴いたおかげで、その中で今まで自分が実施してきた新人教育について、一つ暗雲が晴れた気がしました。
正確には、講演でヒントを得られたので、今まで散乱していた疑問だらけの状態が、文化という概念の導入により、一気に改善されました。

今の新人は日本語を話す外国人(欧米寄り)として扱い、外国で行っている倫理・概念などをしっかりと叩き込まない限りは、使い物にならないのではないか?

今はそこまで組み立てられています。
過去、様々な面々の人々と絡み、教育を行ってきました。
おおよその場合、興味を示すように仕向けることで、強力な学習力の向上がされます。人間は感情とともに記憶を働かせると、非常に効率よく学習することができます。
一番良いのは楽しい・嬉しい等の正の感情を積極的に引き出し、その感情を記憶と結びつけることです。

比較的年上の人間には協力に効果的なのですが、昨今の若い人間にはそれが通用しません。
実際に物や成果を作れるようにはなるのですが、とても杜撰な代物で、粗が目立つのです。
センスの無さがなせる業か?ゆとり教育か?いや、親の教育が…?という風に悩んでいたのですが、一つの結論に達しました。
親の世代が、完全に白痴箱&マスメディアの餌食になっているので、その子孫は完全に汚染されてしまっているのです。
ずいぶん前の話ですが、幼稚園のお遊戯会で、“みんなが主役”といい始めたり“かけっこで順番をつけない”というような酷い教育方針をし始めたのを覚えているでしょうか?

主役を引き立てる為に脇役は必須ですし、その引き立て方次第で脇役のほうが重役になる事もあります。
物事には順序がありますし、努力してないのに1番の人間と評価が変わらない許されるはずもありません
これで何が生まれるでしょうか?
ごらんの有様(キチガイ新入社員の登場)です

そのことを考えずに、好き勝手に“個主義”、“我流”、“俺流”という連携を無視した行動を推薦するようになり始めました。

過去お話をしましたが、“お天道様が見ている”という日本独特の思想は、技術を具現化して利用するときには非常に強力な商品価値を生み出します。
その強力な価値創造の前提は、技術倫理です。
道徳的な思想そのものが、技術倫理としての当たり前の地盤を磐石な物とし、海外のようにわざわざ勉強しなくても当たり前のことをすれば良い物が作れるという結果を生み出せます。

しかし、現代の人間には道徳の概念はありませんし、欧米化した趣向性は個の価値を第一に置いて思慮をします。
要は、作りやすい物を作るという趣向性にかわってゆきます。
結果、完成品への思慮は必然的に薄れます。
最近の欧米製品が脅威なのが出てきて言うのは、個の優先よりも、調和を求め始めた会社が現れ始めたからともいえます。

技術倫理と社会 第9号 で寄稿させていただいた内容にも触れますが、結局のところ倫理が無いとまともなものは作れません
だからこそ、現代の汚染(汚鮮)された人には予め、欧米人と同じ感覚での倫理の概念を教え込まなくてはならないのです。
この一手間がどれだけ重たい作業か?解る人には解ると思います。
当たり前の常識を大人になってから植込むには相当な苦難の道のりが待っているのです。

だったらまともに話せる汚染されていない日本人を雇うべきである。私はそう素直に感じます。
ただ、嫌でもそういうどうしようもない新人を好き好んで入社させる人事担当と役員が居る現実には抗いようが無いので、教育するしかないのですが…。

何で、経営の根幹に関わる人々は部下を自分よりもキチガイ寄りの人選にしたがるのでしょうね?

でわでわ、今日はここまで
また会える日を楽しみにしています。

2014年4月6日日曜日

ビクターの製品RC-T1MDSの周波数特性

少し前、家にあるビクターの製品RC-T1MDSの特性を測っていたのですが、そういえばコイツにはイコライザが付いていたよね…ってことで、イコライザの特性を測りました。

家には測定器が少なく、測れるのは周波数特性だけなので、時間的な特性は計れません。残念ですが周波数特性だけなのです。
エコーみたいに時間領域で働くものもあるので、周波数特性だけに囚われると好くありません
いい加減新しい測定器を揃えた方が良いか?と思いながら、相変わらず周波数特性だけで我慢です。
ということで、この前の測定結果とともに再確認です。




高音がちょっと弱めですが、低音は問題なくフラットなレベル。
ちょっとコーン紙の共振?がちらついてありますが、私みたいな耳の悪い素人には容認できるレベルだと思います。
度々のつまり、スピーカーのコーンは軽くて頑丈なほうがいいよね

要するにイコライザでちょっと持ち上げてあげればかなりフラットレベルになるようです。
こうやって測っても、結局は耳が悪いので、どうしようもなかったりします
それを言ったらおしまいですが、とりあえず良い感じに聞こえる値はわかったので、おおよその感覚を磨き上げたいと思います。


でわでわ、今日はここまで
また会える日を楽しみにしています。

2014年4月3日木曜日

昨日のブログの補足

うっかりこのブログは日本国外のアクセスが日本国内より多いことを失念していました。⇒昨日の日記

実に申し訳ありません。今日本では“結婚活動”なる題材を餌にして未婚中年女性から金を巻き上げる商売が流行っております。
おまけに“女子力”なんていう、子供のころのお手伝いサボっただけですよね貴方?的な内容を今更間違った方向に訓練して、ますます行き遅れにさせてやろうと言う形で商売をしています。
彼女たちは結婚する気なんてまったく無く、“時代の波に乗れている私ってかっこいい”と、自己満悦に成る為にはいくらでもお金をつぎ込みますから、お互いがハッピーになれるわけです。
丁度“スターバックスで意味も無く仕事の振りをしているのと同系列”です。
勿論真の意味でハッピーには成れませんが、薬でハッピーになるよりは健全だと思われます。

さて、御託はこのぐらいにしておき、先日技術士の合格者の歓迎会というのを中部地区で行いまして、年齢層の低めの合格者ほど、前向きに接触しないのであります。
人脈こそが技術の中で生き抜いていく確固たる地盤であるにも拘らず、それを拒みます。ご老体(といっても30半ば)の私にとっては意味が解りません。
もう少し、前向きに接触した方が良いのではないか?と思い立ち、あんな雑記を書いた所存です。

まぁ、昨今の中年女性相手のきわどく酷い商売にも通じますし、SNS中毒患者の方にも通じます。私の嫌いなみんなの党の代表の言動パターンにも当てはまるので、色々混ぜ込んで、訳がわからなくなってしまいました(ごめんなさい)。


さて、人間は前向きには都合よく考え、後ろ向きな名目があると拒否反応を示すと言う話をしました。
そして、技術や経営は、こういったことに絶対に左右されて判断してははいけません
常に、最良の選択をし続け、経営者の判断能力と、今までの経験を勝てにした舵取りを行う必要があります。
しかし最近傾いている会社・国の殆どはそれを行っていません
これは非常に悲しいですが、事実です。
私が経験してきた会社の中で、経営が問題と感じて意図的に退社した会社の多くはこういった傾向が見られ、残念な結果が起きています。

私自身もいい加減口先だけでアレコレ嘘で勧誘されて入社するのを止めたらいいのですが、何故か入社してしまっています。人がいいと言うか、だまされやすいと言うか…結局今の会社も給与面で騙されていますから、いい加減何とかしないとダメかもしれません。


私は経営の専門家ではないのでここから先は突っ込みませんが、技術に関しては経験と勘と度胸だけでは前向きな成果を得ることはできません。
実直なデータ、確実な背景、実証可能な技術の蓄積など、数々の客観的裏打ちがあり、その結果生産=収益に結びつけることができます。
最近はこの技術面に関して、素人が介入することが非常に多く、技術の低下の問題が叫ばれています。
なんのことなく、上司が素人だから判断ができないで路頭に迷っているだけなのです。
上司の昇格条件=会社の方針で、どうでもいいような内容の試験と、張ったりを如何に上手くかませるか?と言うどうしようもないプレゼンテーションを問う試験内容だったりします。
こういう制度を作ったのは会社ですから、会社が堕ちたくて堕ちているのであります。しかしながら、その傾向たるや、技術者にはとても悲しいものがあります。
こういう制度を作る際は技術系の人間が歯止め係として存在すれば問題ないのですが、一般の企業には多く存在しません
一般的に生産性
  技術を持つ人間>一般事務職
ですが、実際の給与・待遇面は
  技術を持つ人間<一般事務職です。これは一般事務職の僻みでもありますし、無能を一生懸命に隠したいという行動の表れでもあります。
他社に行っても稼げるのは、技術を持っている人間だけです。
現実的に成長した優秀な人間にとって、過剰な給与や過剰な地位は忌むべきものです。
しかし、成熟していない人間にとって、給与は際限なく欲しがりますし、判子を付いて責任をとらないという責任回避は大の得意な性分ですから、好き勝手に青天井の給与を要求します。

すき屋のアルバイトが一斉に辞め出した問題、ワタミ系列のアルバイト不足による閉店問題でも表面化しましたが、実働の現場に問題が散乱しているにも拘らず、それを無視し続ける経営というのは決して歓迎されるものではありません

これから暫くは人的な問題から垣間見える経営の問題で会社が倒産することが表沙汰になり始めると思われますが、他人事として楽観視せず、真面目に現場の問題を直視して経営して頂きたい…そう切に願っています。

でわでわ、今日はここまで
また会える日を楽しみにしています。

2014年4月2日水曜日

手を挙げても誰も見向きもしません

別の日記でも書いたことで使いまわしなのは申し訳ないのだが、最近また思ったので書き殴ってみた。

人間の基本特性とは恐ろしいもので、平常時は過剰なほどに内向的である。
自ら行動しないし、危機が迫らなければ(場合によっては迫っていても)行動を起こそうとしない。
自らだけは特別と思っているのか?都合の良いときは何らかの期待を過剰なほどにするのだが、な事になると過剰なほどに嫌悪して周囲を困惑させたがるように思える。(例えば根拠が薄いのに騒ぎ立てる放射脳の連中とか…)

例えば、
 成功確率は40%
 失敗確率は40%
こういった話をした場合、何故か前者を積極的に選んでくる
明らかに後者のほうが成功確率が高いにも関わらずである。
おそらく30%でも問題なく前者を選ぶ、下手をすると20%でも選ぶかもしれない。

文字化すると容易に言葉の言い回しに囚われず、賢明な判断をしがちだが、口頭で言った場合の行動は明確なものがある。
ココに技量や技能という、或る程度不確定な要素が入ればなおの事、不利な方と思える方を選ぶのだから面白いものである。


さて、こういった行動問題の代表例にネットワーク上を含めたコミュニティーがある。
現代の婚活に励む自称女子の問題といっても差し障り無い。

これから述べることは、“人間関係の失敗慣れ=実は大した事ではない”を熟知している方々には気づかないかもしれない事項かもしれない。
昨今の世間に住む方々は基本的に面と向かって遊ぶこともなく、成長に必要な比較的軽い子供の喧嘩もしない
その影響で、どのような行動が相手に痛みを与えるのか?もわからないし、死に至るプロセスという概念すら希薄である。
ついうっかり殺してしまった。リセットできると思って死んでしまったというのが殆どではないだろうか?


先ず前提条件として、互いの我の張り合いの上で比較的軽い(=死なない、大きな後遺症を残さない)程度に殴りあった上でも或る程度話せる相手=親友といい、友達=相手を傷つけた・相手に軽度に傷つけられたとしても或る程度なら許せる相手としておく。
理想の結婚相手となればもっとハードルが高い。この上に“生涯一緒に居ても我慢できる”という足枷が付くのだ。

かなり軽い前提条件(のはず)ではあるのだが、こういう前提条件は、容易に形成・成就できるものでもない。
事実、子供ですら数年かかるし、大人になってから“正直に話さない互いの腹の内の探りあい”を覚えている人々は下手をすると10年単位でかかるであろう。
しかしながら、すぐ親友・友達になりたがる。
掲示板でよく見かける“友達募集”であったり、SNS絡みの“顔も知らないで話す程度のつながり”を多く求める。
この程度の軽い繋がりでは、本質的に本人の欲求は満たせない
何のことは無い、友達でもないただの知り合い程度だからである。
下手をすると知り合いですらないかもしれない。
それが友達と誤魔化していられる内は良いが、友達ではないと悟ったときの悲惨たる心の状況は、言い尽くせないものがある。
その希薄な関係も非常に脆い。所謂一種のSNS疲れというのはココから来る。
面と向かって話せば時間もかからないことを、公的な場で腹の探りあいをしながら相手を微妙に褒め続けなければならないのだ。
されている方もだんだん落ち着かなくなってくる、腹の探り間とわかっているからのこそ、余計に不満が溜まってゆく、本心はどこに在るのだ?と見えてこない。
面と会えばすぐ解る。すぐに反応が返ってくる相手の微妙な行動・話し方・考えは、完全に隠し通せるものではない
(事実、我々が採用活動で最重要判断していていた見た目はココにある)

しかしながら、彼らは相手へのちょっかい“友達募集”程度の軽い行動しかしない。
軽く手を上げたら後は誰かが引っ張ってくれる。そう大人になってからは殆ど有りもしない妄想を描き続けているのである。
彼ら(我々)はいい加減気付くべきである。
彼ら(我々)自身は、平常時において個体として大きな社会的影響は限りなく低く、相手のためになる可能性は限りなく低い。
関わらないでおこうと思えば関わらなくても済む相手であるのだから、相手が未知という危険を犯してまで手を差し伸べるようなことは普通はしない。
正常な思考の持ち主なら尚の事である。
つまり、この状態で手を差し伸べた人間は、“良い意味で子供”か、“裏がある”のどちらかである。


子供のころは強制的に学校というコミュニティーの集りで、遺伝的・家庭的に積極的な人に巻き込まれたり、子供の好奇心という行動力でそれを補う事が多い。
結果、一定の知り合いは確保され、幾らかの壁を乗り越えると友達には成れる。

しかし大人は別である。好奇心自体が薄い。年齢を重ねるごとに行動力も殺がれる。
人間は基本的に変化が嫌いな動物である以上、相手に行動の期待をしてはいけないのである。
自らが率先して動かねば、周りは変わらないし、変ってゆきもしない

そのような当たり前の事を何故だか誰も気付かずに手を挙げるだけで誰かが助けてくれるのだと信じて止まないでいる。
それ、白馬の王子様が現れると思っている(精神的な意味で)幼女となんら変わりないですよ?
結婚相手なんて得にそうです。誰が好んで行き遅れの人間を相手にすると思いますか?

先ずは自分から行動しましょう。暫く経てば行動癖が身につき、周りも賛同してくれるようになります。
全てはそこから始まります。

ではでは、今日はココまで。
またの機会に会える事を楽しみにしています。